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1999年のイズミット地震(別名「トルコ北西部地震」「トルコ・コジャエリ地震」等〔産業技術総合研究所(2002年、13頁)は「イズミット地震」を、防衛省(2004年、233頁)は「トルコ北西部地震」を、文部科学省(2003年、18頁)は「トルコ・コジャエリ地震」を採用している。〕)は、1999年8月17日午前3時02分(EET、現地時間)に、トルコ北西部で発生したマグニチュード7.6の地震である。37秒もの間ゆれ続け〔、1万7000人あまりが死亡し〔、およそ60万人が家を喪うなど、震源のコジャエリ県イズミット市を中心に、甚大な損害をもたらした。 == 損害 == 1999年10月19日、トルコ政府は被害者数を死者1万7127名、負傷者4万3959名と発表した。しかし、多くの情報筋は、実際の死者数は行方不明者を併せて4万5000名、負傷者も4万5000名と推定している。地震後、60万人が家を喪った〔米国国際開発庁、1999年「Turkey Earthquake」『BHR/OFDA Annual Report』1999会計年度号 、59ページ〕。 揺れは、人口密度が高く工業地帯を擁するギョルジュク町を襲い、精油所や海軍本部、兵器廠が炎上して、人的・物的な被害に拍車をかけた。700キロトン以上の石油を貯えるテュプラシュ社(:en:Tüpraş)の精油所の塔が倒壊・炎上したのである。鎮火には数日を要した。地震の震央から70 km離れたイスタンブルでもかなりの被害があった。〔A. Barka, "The 17 August 1999 Izmit Earthquake" , ''Science'', 285 (17 September 1999), pp. 1858–1859.〕 トルコ軍の兵士には、親類の救出に45日間の休暇が与えられた。遺体は、疫病の発生を抑えるため、速やかに集団墓地に埋葬された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「イズミット地震 (1999年)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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